男って苦手だ。女の顔しか見てないから。そう思ってたのはついこの間まで。
うまいこと狭い島から飛び出た先には、見たこともないような世界が広がっていた。そこで出会った志の高い人々に私は日々感銘を受けている。毎日楽しくてしょうがないのだ。

「今日こそ一本取る!絶対!」
「心意気は認めますが、いい加減口だけでは困りますよ」

そう言いながら槍を構える氷月のなんと美しいことか。こんな人と毎日毎日手合わせできるなんて私って幸せ者だ。


「はぁ〜〜今日も強かった……氷月……」
「負けたのになんでそんな喜んでんの、君ヘンタイ?」
「モズには分かんないよ、どうせ」
「分かるも何も、強いし俺」

そうやって人をバカにして。あんただって氷月に負けたからこうやって特訓してるくせに。
モズとは幼い頃からの腐れ縁だ。名家の生まれで戦闘の才能もずば抜けていた彼はそりゃ大層おモテになり、可愛い女の子を取っ替え引っ替えしては遊び呆けていた。
顔を合わせれば「可愛い子いないの?紹介してよ」と言われ続け、その度に「ここにいるじゃない」なんて必死に返事してた過去の自分とはとっくに決別した。
結果的に私に残ったのは、並大抵の男ならひっくり返せる程度の戦闘力だけだ。後悔はしてない。
ちなみに私の健気なアピールに対するモズの反応は「んー何も見えない……ちっさくて」である。どこ見て言ってんだコラという悪態と涙を何回飲み込んだことか。
そんなこんなでモズへの恨み辛みはいくらでも出てくるが、流した涙の分だけ強くなった私にもようやく新しい道が拓けたというわけだ。

「せっかくここまで来たんだもの、キリサメたちみたいに強くて可愛い女になってみせる!モズ君はそこで指でも咥えて見てれば?」
「んー既に可愛くないんだよね。そのガサツな言動がさ」
「グッ……」

ここで怒ったらモズの思うつぼだ。ちゃんと、そう、ちゃんとしなければ。怒りを抑えて、冷静に。強い女は怒りなどという醜い感情を無闇に出したりしない……はず。

「き、休憩終わり!じゃあね」
「もしかして戻るの?」
「動き見るだけでも特訓になるでしょ」

恵まれた容姿も武術の才能もない。私にできるのはただ上を見て食らい付くことだけだ。
モズの足元にはまだまだ到底及ばないけど、声がこうして届く限りは私も強くなるのを諦めてなんかやらない。

「名前がどれだけ努力してもさ、俺そもそも前から君のこと見えてないんだけどね。ちっさくて」
「まだ言うかこの野郎!」
「やっぱ君、可愛くないよね〜全然」

ケラケラと笑う彼はこれでも少し真面目になったというが、私への態度は一向に変わらないままである。





最近稽古終わりに松風やキリサメが話しかけてくれるようになったのは、上達してきた証なんだろうか。もしかして、まだ私自身も知らないのびしろがあったりして。
可愛くなるという目標は一旦置いといて、強くなるに一点集中したのが功を奏した。こっそり喜ぶくらいは許されたい。でも、今日はそれどころじゃなかった。

「イタタ……」

ずっと前から槍を握ってきた。力加減も身に付いてたはずなのに、さっき左手の皮がものの見事にズル剥けてしまったのだ。
モズの真似をして管槍の練習を私も密かに始めたばかりだった。もっともモズならこんな怪我しないんだろうなと思うと悔しい。

「少し良いですか」
「わ、氷月……!」

処置したとはいえ、氷月に傷を見られたくなくて慌てて手を後ろに隠した。
そういえば氷月から私に話しかけてくれることは滅多にない。私が一方的に教えを乞うて彼がそれに答えるのが常だった。

「その様子だと暫くは使い物にならなそうですね」
「うぅ、ごめんなさい」
「手が使えないなら足を使えば良いだけです」

なるほど、足運びを重点的に鍛えようというわけだ。流石は氷月、休むという概念はないようである。私と一緒だ。

「ところで君はどこで槍の技術を?」
「これ?えーと、モズの真似!かな」

私のそばにいた一番強い人間は当然ながらモズだ。だから彼の動きを見よう見まねで覚えた。
氷月はこれだけで「道理で」と納得してしまったようだった。私やモズと手合わせしている彼にはきっと手に取るように分かるんだろう。私がどれだけモズの後を追ったって一生追い付けやしないことも。ただ諦めたくないという意地だけでいつまでもぶら下がっていることも。

「ではそもそも槍を持つようになったのもモズ君の影響ですか」

氷月の質問にただ頷くことしかできなかった。
最初はそうだった。女にはもちろん男にだって負けないくらい強くなりたかった。だけどモズは彼の実の父親すら簡単に吹き飛ばして、それからあっという間に私の手の届かない所にまで登りつめてしまった。

「昔のことだよ。今は純粋に上を目指したいって思ってる」

腐れ縁の男を追いかけてこんな所にまで来てしまったけれど、氷月たちに出会ってからは私も変わった。いつまでも昔に囚われてちゃいけないんだ。

「君とモズ君の昔話には興味ありませんが……君が強くなりたい、学びたいと言うのなら手ほどきはします」
「うん、あとは私の努力次第か。もっと頑張らないと」
「愚直ですね」

褒めてくれてるのかな。氷月の真意は分からない。鼻まで覆われた表情の分かりにくい顔を無遠慮に眺めてもやっぱり分からないままだ。
二人して見つめあっても埒があかない。でもこのままじゃなんだか勿体ないような。


「ねぇもしかして氷月って悪趣味?」

そんな一時の迷いを断ち切るのは、やっぱりコイツだった。

「……じゃあ私はこれで」

鍛練中とは別に、モズの前で惨めになる私を氷月に見られるのは嫌だ。この手の傷と同じだ。

「何逃げてんの」

よりによって怪我した左手を無遠慮に掴まれた。激痛に歪んだ顔を悟られないよう下を向く。

「……モズ君、発言の意図は」
「女の子の趣味。名前はないでしょ流石に」
「ちょ、モズやめて!氷月も相手しなくて良いから」

聞き捨てならない台詞に思わず口を挟んでしまった。こんなくだらないことを氷月に話すなんて!一刻も早くこのバカを連れて退散しないと。

「氷月の前ではイイ子ちゃんみたいだけど本当は……」
「あーもうホントにやめてええ!」

氷月の前ではちゃんとしようって決めてたのにモズのせいでボロボロだ。こんなのあんまりだ。

「騒がしいですよ二人とも」
「煩いのはコイツだけでしょどう見ても」

私が氷月に呆れられないよう積み上げてきたものを簡単に壊して、モズはきっとご満悦な顔して笑ってるんだろう。いくらなんでも許せない。

「ハァ、とにかくモズ君は彼女の手を離してください今すぐ」

モズの力が緩んだ隙に自分で手を引っこ抜いた。これで氷月を見送った後いつでも逃げられる。

「では明日は先ほど話した通りに。できますね?」
「できる、できます!」

私の前のめりな返事に横に突っ立ったモズが顔をしかめている。見なくたって分かる。
取り敢えず、明日も特訓に参加できるのが分かっただけで良かった。

「モズ君。確かに、名前クンに君ほどの才はないでしょう……でも地道に研鑽が積める人間です。そういう意味では実にちゃんとしてますよ」
「う、うそ」
「ここで嘘をつく意味はありません」

ヤバい、泣きそうだ。そんな風に評価してもらえてたなんて。まだまだ道は長いけれど、彼の言葉だけでどこまでも頑張れてしまいそうだ。
あまりに嬉しくて、氷月が立ち去った後私はついモズに話しかけてしまった。

「ほら聞いた?ちゃんとしてるって。私も少しは強くなれたのか……あ、」

ほぼ言い終わってから、モズに話したところで否定されるだけだと気付いた。せっかく嬉しさで膨らんだ気持ちを、また萎まされてしまう。

「…………そんなの知ってるし。昔から」
「えっ」
「なんていうか、んー面白くないんだよね。いきなり割り込んできて自分が一番に見つけちゃいました〜みたいなの?俺のお陰でしょ、名前がずっと槍握ってんのもそんで強くなってんのもさ」
「え、ええ……?」

弱い。可愛いくない。ずっとそう言われてきた。他でもない目の前の彼に。

「んで強くなった後は可愛いくなりたいんだっけ。そんなら断然俺の得意分野だしちょうど良いね」
「……今更モズに可愛いとか思われたくない」
「まさか氷月には思われたいとか言わないよね」
「なんでそうなるの」

モズが変だ。変なモノを食べたのかもしれない――じゃなくて!
とにかく彼の不可解な言動を止めないと。そうでないと明日から集中して稽古にのぞめなくなってしまう。

「まぁここでなら君が可愛くてもいっか。もう後宮ないし」
「それってどういう意味?」
「んーーまだ内緒」

意地悪く鋭い目で射竦められ、とうとう何も言い返せなくなった。
せっかく氷月に褒めてもらえたのに。過去のことは忘れて上だけ見ていられればそれで良いと思ったのに。

「手が治ったら俺ともしようよ特訓。そしたら俺のが好きになるよ」

最近の私がただ浮かれてただけ。ちょっと考えれば分かったはずだ。私の見上げた先にはこれからもずっと、この男が立ってるなんてことくらい。





よく晴れて凪いだ日はすることもあまりなく絶好の鍛練日和だ。

「この前のやり取り……」
「聞こえちゃってた?」
「あれだけ騒げば当然でしょう」

甲板で喋っているのはモズとキリサメ。腕も立つし目立つ二人だ。
一方、私はその横を通り過ぎることもできず影から様子を伺うザコキャラである。

「モズ、あなたには誠意というものがまるでない。そう思ってましたけど」

言葉を切ったキリサメは何故か顔を赤らめ恥じらっている。嘘でしょキリサメ、まさか……。

「そんなに長い間幼馴染みの名前を後宮に……イバラに近付けないよう盾になっていたなんて」
「は?」

は?は、私の台詞だ。あのモズがそこまで考えて、しかも私なんかのために?天地がひっくり返ったってあり得ない。でも、もしキリサメが言った通りだとしたら……そんなの、そんなの、どうしよう。

「んーキリサメちゃんそれ普通に勘違い」
「しかし、」
「いや可愛い子と遊ぶのに後ろで煩くされたら楽しむもんも楽しめないでしょ」
「もっかい言ってみろこの野郎ッ」
「うわ、盗み聞き?」

あまりの言いぐさに我慢できず飛び出してしまった。一瞬だけでも「もしかして」を考えた私を殴りたい。モズはどこまでいってもモズだ。

「行こキリサメ!私、女の敵を倒すために強くなりたいの」

キリサメと私の純情を弄ぶような男には負けたくない。一回だけでも良い。いつか「参りました」とこの男の口から言わせなければ気が済まないのだ。

「それあと何百年かかる?俺が生きてるうちにしてね」
「クッ、この……!こうなったら毎日相手してもらうから!」
「いーね、毎日返り討ちにしたげるよ」

毎日槍を交えればいつかはモズのクセや弱点が見えてくる。今までだってずっと彼を見て来たのに追い付けなかった。だけどこれからの私は違う。もっと技術を磨いていつかこの鋒をモズに突き付けてやる。

「これはもしや、二人が素直になれば良いだけの話なのでは……」
「お二人が気付くことこそが肝要なのですキリサメ殿」


大真面目な顔で修行仲間がそんな話をしてるのを、私もモズもまだ知らない。



2021.2.7


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